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    絵:茂木 啓介            絵:林  友里            絵:平井 辰徳            絵:鈴木 義也            絵:宮内  徹
 
         乱世に                  律令の                   累代の                 霊場と                   六地蔵
   守りかためた        名残は芳賀郷       僧侶の墓もなし       いこいの広場          庶民の信仰
        田中城                   藤沢郷                  正覚寺                 嶺公園                 世の乱れ
 

解説

 ら  乱世に 守りかためた 田中城
田中城は通常嶺城と言われています。はっきりとした記録はありませんが芳賀村誌によると、前橋城主であった北条高宏の父高定の家臣で田中大弐正常と言う人が作った城だと言われています。その遺こうは、今でも築城当時のまま残っていて、本丸をはじめ5つの郭や堀などがあります。東西の最大幅が 200m、南北は500mあります。
 
 り  律令の 名残は芳賀郷 藤沢郷
奈良時代の勢多郡には、深田、田邑、芳賀、柱萱、真壁、深むそ、深沢、時沢、藤沢の9郷にわかれていました。現在のどこにあたるかはっきりしません。芳賀村誌によると徳川時代まで芳賀村は芳賀郷(端気・五代・鳥取・小坂子)藤沢郷(嶺・勝沢・小神明)の地であったということです。
 
 る  累代の 僧侶の墓もなし 正覚寺
正覚寺は勝沢町にありました。知承年間に藤沢氏が正覚上人を開基として創立したと伝えられていますが、沿革不明で無縁無壇となって明治5年に廃寺となりました。明治22年まで村役場の仮庁舎として使っていましたが、村役場が移転し、お堂はとりこわされ畑となってしまい片隅に子藪だけが残り、石碑類が倒れかかっています。本尊如来像等は善勝寺に預けました。
 
 れ  霊場と いこいの広場 嶺公園
面道路の南側一帯に墓地公園ができました。公園造成の工期は、昭和53年から56年の3ヵ年で総工費は、1億2千5百万円だそうです。嶺の大堤や湿地帯があり、山林をところどころ残し景色のよいところで、市民の憩いの場としても、祖先の霊を宿すところとしても好適地です。
 
 ろ  六地蔵 庶民の信仰 世の乱れ
小神明の西ぐるわには、昔から大墓場がありました。この地に、1755年造塔された寒念仏供養と一体となった六地蔵の石幢があります。村人は、平和を祈りながら、子孫の繁栄を願い信仰していました。石像六地蔵は、室町時代(1392~1451)に数が増えましたが、寺院の門前や墓地の入り口に置かれるようになったのは、室町末期と思われます。