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    絵:秋月 陽子            絵:樋高 圭介            絵:後藤 真也           絵:高野 真咲            絵:遠藤 真紀
          小暮 瑠美
 
       酒井家と               写真機の                 水田を                  生産を                   村政に  
   ゆかりの深い        フィルムの開発        うるおす水路          高める努力            力つくした   
       地蔵尊               長岡 菊三郎           大正用水              工業団地            多賀谷  正士
 
 

解説

 さ  酒井家と ゆかりの深い 地蔵尊
前橋の九代城主・酒井忠恭(ただきよ)の四男駿河守忠温(ただのぶ)の妻八重子が死に、龍海院に葬られました。家来に命じて、川白田にお堂を建てさせ、一寸八分の純金の地蔵尊をまつり、その後、善休という僧が、石の地蔵尊をまつりました。明治13年石の地蔵尊を
福徳寺に移しましたが、15年、村にコレラが流行したので、元の場所に移しました。現在小坂子町の公民館にある地蔵尊です。
 
 し  写真機の フィルムの開発 長岡 菊三郎
長岡 菊三郎先生は明治10年、前橋市小神明町で生まれました。明治41年、東京帝国大学(現在の東京大学)を卒業後、中国の南京師範学校の教授になり、明治45年帰国後、慶応大学の教授になりました。大正5年、『さくらフィルム(現在のコニカ)』社に入社、10数年かかって、日本で最初の国産フィルムを作りました。
 
 す  水田を うるおす水路 大正用水
赤城南ろくの水田は傾斜地であり、水路の不足からかんがい用水が深刻な問題でした。大正7年には、大干ばつに見舞われましたが、お金がなく用水をつくれません。その後、第2次世界大戦中の食料増産のため、用水を作る必要が出てきたので、昭和18年工事を着工し、26年に一応完成しました。
 
 せ  生産を 高める努力 工業団地
昭和50年から53年には、20haの用地に芳賀西部工業団地が造成されました。昭和46年から開発が進められてきた芳賀東部・五代工業団地として28haの広い用地が造成され、63年から操業が開始されました。現在では、西部工業団地が37社、東部・五代工業団地が50社の企業が生産活動をしています。
 
 そ  村政に 力つくした 多賀谷 正士
正士は、前橋藩士の家に弘化3年(1840年)7月25日に生まれました。文武両道に磨きをかけ、明治12年に端気村ほか3ヶ所の戸長を務め、農業振興や道路工事事業など村の発展に尽くしました。明治22年、町村制が施行され芳賀村ができると、人格手腕を買われ、初代の村長になりました。